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残された記録

「御目出度ウ、陣中餓死状況に在り乍ら尚將兵日本人の覚悟と氣分を失はず厳然たる態度で交し合ふ 我も亦溌溂として今年の奮起を誓ふ」

 

 これは、昭和二〇年一月一日の祖父の日記である。私の母方の祖父は、戦時中、現在のミクロネシア連邦西カロリン群島にある「メレヨン島(日本軍の呼称)」に派遣された。曹長であり書記であった祖父は、個人的な記録を残していた。

 

 日記は二冊ある。一冊は小さな手帳。明確に読み取れる日付は昭和一九年三月一四日から。「19時台湾馬公要港に投錨す」。二冊目は冒頭の言葉から始まる。最後の日付は、昭和二〇年三月三一日。約1年間の記録。

 戦後50年目の夏、私はこの記録の存在を知る。当時は大学2回生、比較文化の授業で祖父母の戦争体験を調べるという課題が出た。私の問いに祖父は答えてくれが、驚いたことに、祖母以外の家族には初めて語ると言い添えた。

 戦後の忙しさで振り返ることもなく、今さら語りたい話でもなかったと打ち明ける祖父。補給路を断たれた飢餓の島。追い詰められた凄惨な状況は、読むほどに辛く、ここに記されない出来事もあったのだろうと推察する。みかん農家を生業とし、5人の子を育てた祖父に振り替える時間はなかったとも思うが、記憶を紐解くには50年の歳月も要したのだろう。

 

 先日、友人に借りたコミック「ペリリュー」を読み、祖父の記録を久しぶりに取り出してみた。原紙は劣化し、かつてワープロで清書した感熱紙の文字も薄くなっている。今年は戦後76年。祖父母も他界した今、なんとか、この記録を残していきたいと思う。